こんな家に住んでました(旧宅の思い出)

 いよいよ引き渡しの日程が決まり、引っ越しが近づいてきました。またまた話が戻って恐縮ですが、今回の建て替えに先立ち解体した旧宅の思い出をまとめてみました。これから徐々に新居の感想などを当サイトでアップしていきたいと思いますが、その比較の対象になるのはわが家の場合あくまで築45.5年(増築部分も含め平均すると築30年くらい)のこの古い家です。そういう意味では新しい家の評価は甘めになるかも知れません。築40年以上のお宅に住んでおられる方には「ある!ある!」と言いたくなる珍事の数々、今は無きわが旧宅の供養のつもりでお読み下さい。

基礎がよくわかんない家
 基礎がどういう構造なのかいまだによくわからない。20年前に建てた一番新しい部分もまだベタ基礎や防湿コンクリートなど一般的でなかった時代だから、下が土だったことは間違いない。一番古い部分は40年以上前なので基本的には柱(束)ごとに土台石を置くというタイプだったと思う。だからというわけか、畳が湿気ること湿気ること。特に人が常時いる場所に限って畳がかなり湿気ていた。また不同沈下なのか開きづらいふすまがあり、雪が積もると全く開かなくなるので家の中にいるだけで外の景色を見なくても屋根に雪が積もっていることがわかるほどだった。

スリッパ必須の広縁
 旧宅の外観は吉田茂元首相の逗子の邸宅に似た感じだった。そんな偉い人のお宅と一緒にするな、と言う声が聞こえそうなので、サザエさんの家と言った方が適当か。要するに二間続きの和室の南側に広縁が接し、広縁は全面ガラスの引き戸で庭に面するというよくあるパターンである。新築当時はそもそも住宅の気密断熱などという概念が存在しないから、20年前に増築した一番新しい部分を除き断熱材は一切入ってなかった。要は暖房として局所的な熱源である火鉢やこたつ等しか想定していない設計である。こういう家は暖房が入ってない部屋の室温は原則として外気温に近い。特に幅三尺長さ三間の広縁は床下や天井に断熱材が入っていないのはもちろん、建築当初は、か細い木枠のガラスの引き戸(戸車がさびて10年位で開けにくくなった)、後に改築して単板ガラスにアルミ枠になった巨大全面掃き出し窓とこれまた単板ガラスにアルミ枠という玄関等の影響をもろに受け厳冬期の夜間(特に吹雪く日)は氷点下にもなっていただろう。そんな夜はサッシがガラスを含め全面凍結するので歩くとミシミシ氷が割れる音がする。その中をトイレに行く寒さと言ったらそりゃあもう大変なもので気合いを入れて布団から飛び出し、スリッパをつっかけ一気に駆け抜ける必要があった。高血圧のお年寄りがこんなことをしたら一発で脳卒中にもなりかねない荒業だ。朝になるとガラスに氷がきれいな結晶の絵を描いていたものだ。この広縁はほとんどの時期スリッパ必須であり素足で歩けるのは6月から9月くらいまでだったと思う。

布団は大量
 本体の二間続きの和室の6畳間の一つを子世帯の寝室にしていたわけだが、当然ここも断熱材が入ってない。しかも後述の素人目張り工事もしてない。夜就寝中も暖房をかけるという発想は頭から無く、またそれが可能な機器も無かったため人の体温以外まったく熱源がないこの部屋も、広縁ほどではないが冬はかなりの寒さになった。そんな夜は布団を重ねて寒さをしのぐしかない。下から順にマットレスに敷き布団、毛布、その上に起毛のシーツ、人、毛布、電気毛布、羽毛布団、薄目の羽毛布団、薄目の綿の布団という順番が私の場合定番で、降雪時(布団にくるまっていてもしんしんと冷えてきて外の車等の騒音が聞こえなくなるので雪が降っているとすぐわかる)にはさらにうすい毛布等を足す場合もあった。またこれだけ布団類が大量だと布団自体の熱容量も大きく暖まるのに時間が掛かるため、就寝1時間前には電気毛布のスイッチを弱めに入れておく必要もあった。敷くのに結構時間も掛かる。しかも子供用も含め四人分。思い出しても大変な手間だった。

風呂場も寒い
 風呂場には前述の通り大きなアルミサッシの窓が付いていたのでプチプチシートを断熱材として貼っていた。といっても結露等のため接着剤は効かないから押し込んでいた、ないしは引っかけていた、というのが正解か。しかも壁や天井の断熱材は薄いので湯気が結露してポタン、ポタンと落ちてくる。ドリフの「いい湯だな」ではないが、これがまた冷たいこと。二人目三人目と後から入る者ほど風呂場が暖まって快適になっていくが、いつも一番風呂の父にはこの風呂場での入浴は体に良くなかったと思う。わが家の場合風呂はどうせ夜しか入らないから、そもそも風呂場には換気扇が有れば窓は要らなかったかもしれない。新居ではこの教訓を生かし最小限の大きさの窓にした。


九州場所恒例の目張り
 居間の内装は土壁だが長押に隠れる部分は土が塗ってなくて、よしずを格子に編んだような下地がむき出しになっており、もろに風が吹いてきていた。そこを石膏で完全に埋めたり、板と板の隙間等をコーキングガンでふさいだり、戸当たりにスポンジテープを貼ったりと唯一就寝時を除き常時暖房していた居間は、私が素人仕事ながら徹底的に目張りをしていた。この作業のコツは風の強い日に行うことである。手をかざすと風を感じる場所をふさげばいいというわけ。ただし障子を隔てて外気に接するアルミサッシ単板ガラスの窓(高さ1.2メートル幅1.8メートルくらい)があり、これだけは夏場開ける必要があるので恒久的な気密工事が出来ない。そこで例年寒さが本格的になってくる相撲の九州場所の中日か千秋楽の日曜日、やはりプチプチシートとガムテープ、画鋲等を用いてアルミサッシの室内側と障子戸の室内側に二重の目張りをしていた。お相撲さんが頑張っている時期にはこっちはこっちで頑張っていた訳だ。これが終わると少し暗くはなるが、確かにすきま風はなくなったことが実感できた。この工事はここ10年ほど一種の風物詩として定着していたが、やはり所詮春になって窓を開ける時期には剥がさなければならない間に合わせの素人仕事、ガムテープの粘着力も日が経つと弱くなるため、風圧に押されすきまが拡大し結構風は入っていたと思う。加えて壁天井床とも断熱材は全く入ってないので暖房をかけても20度以上の室温を保つことは難しかった。それでも常時ファンヒーターで暖房をかけているのは居間だけだから自然に人は集まる。おまけに大きな電気こたつも置き、洗濯物も干したので6人家族にとって6畳のこの居間は冬かなり狭苦しかった。


風、雨、鉛色の空
 新潟は気温そのものや降雪もさることながら、11月末頃から気圧配置が西高東低の日はシベリアおろしの冷たい季節風が吹き体感の寒さを増強する。わが旧宅でも気密の低さで季節風の吹く晩は室温の低下もさることながら襖や障子のばたばた言う音、木のざわめきや風そのものの音のもの悲しさという心理的な影響もあいまってことのほか寒かった。ちょっと話は脱線するが次世代省エネ基準で新潟市をはじめとする新潟県沿岸部が4(実際はローマ数字だが文字化けを避けるためアラビア数字で表記する)地域に区分されているのはいかがなものか。たしかに新潟の沖合いは対馬暖流が流れており気温という点ではそうかもしれないが、風や降雨・降雪、日射の影響が無視されているのではないか。新潟の冬の季節風はかなりのもので、同じ気温でもすきま風を防ぐため、風が弱い地域より低いC値が要求されると思う。また雨の滴が当たったところだけ窓ガラスが結露することでもわかるように、単に空気に触れるより比熱の高い水に触れる方がより強く冷やされる。降雨・降雪によって屋根が、風による横殴りの降雨・降雪があれば、さらに外壁や窓も冷やされる。また冬は晴天の日が少ないので日射が少ないことも考慮されるべきだ。単に気温だけでなく風、降水、日射の要素も加味して評価すると、当然Q値もC値も低いものが要求されるはずだ。新潟が東京や大阪、福岡と同じ区分などというのは地元に住むものの実感として到底理解しがたい。

虫の出現
 多分床下から玄関のたたきの部分等に通ずる隙間があったと思われ、ときどき「かまどうま」が玄関や廊下、台所に出現した。かまどうまとはほとんど視覚がないと思われ、常に長い触角を振り回している、跳躍力抜群の昆虫である。ただ出現するだけなら子供も喜ぶ愛嬌者で済まされるがそこは毎日人が暮らす家のこと、思いも寄らぬ偶然がとんでもない悲劇を引き起こすことがある。それはある晩私がトイレに起きた時のこと、裸足で歩いていたから寒くない時期の出来事と思う。廊下に出たとたん、何か柔らかく冷たいものを踏んづけた。ピシャッという感覚、何だろうと見た私の足の裏には(以下略)

ねずみの出現・猫の跳梁
 床下がじかに土で今時の基礎と違いねずみが出入り自由だったため、おそらく要所要所にネズミ穴が開けられ床上の人間様の領域にもしょっちゅうねずみが出没した。またこのネズミ穴は当然、虫や空気も通るため、前述の虫の出入りや気密の低下を通じ環境悪化に大いに寄与していたものと思われる。このネズミを追ってか、または天井の暖かさにひかれてか、いつからか猫もときどき冬、天井に出入りするようになり、時には天井で猫とネズミの運動会が始まることもあった。あまりのやかましさに、猫の出入口をふさごうと思ったがどこだかわからない。解体した今でも結局謎である。

風通しの悪い部屋
 無計画な増築が家の機能を損なった例。本体を建てて数年して日本は高度成長期に突入し、わが家にも徐々に物が増え始めた。収納場所の少なさに気付いた父母はたんす等の置き場として二間続きの和室についてそれぞれ畳約一枚、ないし二枚分の増築をした。その際寝室の窓をつぶしてしまったため寝室は広縁側しか開口部の無い、夏は風の通りが悪い部屋になってしまった。おまけにその増築工事は施工当時の水準から見れば普通だったかも知れないが、もともとの住宅本体と比較してもあきらかに材料が悪く施工もいい加減だったため、冬場はすきま風に悩まされることになった。すきま風が吹くのに風通しも悪いとは一見矛盾した話のようだがこれは実感である。やはり家というものは風を通したいときには通せる、通したくないときにはピッタリ締め切れるというきちんとした構造が大切だ。

床の穴と鳴り
 比較的新しいはずの20年前に増築した部分だが、やはり水回りは弱く、風呂の入り口の床部分の隅に直径3センチほどの穴が左右に一つづつ開いてしまった。冬はこの穴を通じ床下から冷たい空気が吹き上がってくるので着替えの際に寒い。ビニール袋を丸めて突っ込んで穴をふさぎ対処していた。またその付近では床鳴りも生じており、湿気で根太等がかなり腐食していたものと思われる。

大量の結露とカビ
 
昭和30年代、40年代に建てた部分は気密が悪すぎるためかあまりかびは生えなかった。広縁の巨大掃き出し窓もサッシに替えて以降結露がひどくなったが、温度が低いためか、かびが生えるまでには至らなかった。カビがひどかったのは50年代に最後に増築した台所他である。旧宅では唯一断熱材が入った部分で気密もそれなりに良かったこと、炊事すると大量の蒸気と熱が出ること、蒸気には油分他栄養が含まれること、系統だった換気システムもなかったことが災いし、増築後しばらくして天井にカビが出始め、食器洗い機を導入した8年前位からその増殖が加速した。天井の大部分が黒カビにおおわれ、照明の効果も落ちてきたのでローラー刷毛で天井の塗り替えを行った。これは防かび剤入りの白い水性塗料がうまく塗れ、家族にも好評であった。その後はわりとまともな状態で建て替えを迎えることになった。また、建て替えの際冷蔵庫に隠れていた壁を見たが、そこもかなり黒くかびていた。新居ではどうなるかわからないが台所は結露とカビには相当の注意が必要だ。

コンセント無しの部屋
 信じられないかも知れないがコンセントのない部屋があった。二間続きの和室の一方の寝室である。そうかといって今の世の中、電気を使わぬ部屋での生活は何かと不便だ。そういう場合天井の電灯線から電気を引く以外ない。しかし今時天井にある文字どおりの電灯線から延長コードを引いて電気を取る必要がある家って一体・・・

電気大量使用は一声かけてから
 この家の本体が建ったのは家庭電化が本格化する以前である。その当時の電化製品と言ったらせいぜい照明、ラジオ、アイロン、電気釜やや遅れて洗濯機、白黒テレビ、水冷クーラーと言う程度だったろう。容量は20アンペアであった。すなわち最大で使える電気の総量は2000ワットである。その後30アンペアまで上げたものの、到底現代の肥大した電化生活の需要を賄えるはずはない。したがってわが家では大きな消費電力の機器(食器洗い機、エアコン、電気釜、電気ポット、ドライヤー、掃除機等の大物)を使う際はよく考えて、その時ほかに動いている大物がないかを確認してから使う必要があった。「洗い機回すからこたつ消して」「ご飯炊いてるからエアコンつけないで」などという会話が日常であった。組み合わせによっては二つの大物も可能だったが、ぎりぎりの綱渡りだから、そんな時はちょっとした偶然でブレーカーが落ちてしまう。いい気分で湯船に漬かっていると突然照明が消え、浴室が真っ暗になるなどということも珍しくなかった。そこで対策として直ぐに復帰できるようブレーカーのそばには懐中電灯と、手の届かないところにあるブレーカースイッチを切り替えるのに必要な専用の棒を置いてあった。最近の機器はいったん電源が落ちるとタイマー等を再度セットし直さなくてはならないのも多いのでいったん落ちると余計な仕事が増える。その点も不便だった。

シックハウス症候群
 昭和40年代半ばになると両親は我々子供のためにいわゆる勉強部屋を作ってくれた。大変ありがたかったが、この部屋で困ったのはシックハウス症候群である。当時は今ほどホルムアルデヒドに対し厳しい規制はなかった。というよりベビーブーム世代が所帯をもつ時期になり、大量の木材需要を満たすため乱造されたいわゆる新建材と称するものはホルムアルデヒド使い放題と言っても過言ではなかったろう。この部屋ではストーブをつけると目がしぱしぱして涙が出てくるので弱った。まさに泣ける(家の)話である。この病気(というか刺激症状)の存在そのものもさほど知られていなかったから、私は灯油ストーブに原因があるのではと思っていたくらいだ。1、2年すると症状は無くなったので特に気にも留めずにいたが、近年の報道で「あれがシックハウス症候群だったのか」と思い当たったわけだ。ちなみに新居では当たり前のようにすべて星が4つついたいい建材を使っている。住宅も量の時代から質の時代へ、世の中は変わるものだ。

自然が近い、汚し放題、火事の心配無用、平屋の安全
 さんざん前の家の悪口を書いたようだが欠点は逆に利点となることもある。冬の寒さが厳しいだけに春、目張りを剥ぎとって窓を全開する時の気分は最高だったし、基礎らしい基礎がない分土が手の届くところにあり、広縁と庭との一体感は、流行の言葉で言えば癒しであった。狭い部屋にひしめき合って暮らすから自然に家族同士のつながりも深くなった。平屋で階段が無く、広縁も通路としてよく機能したので家の中をスピーディーかつ安全に移動できた。近所でサイレンが鳴っても、家計的には減価償却がとうに終わったこの家は万一類焼しても経済的な損失は少ないので家族の安全だけ心配していればよかった。耐振性も怪しかったが平屋だけに大きな被害もあまり心配ない。子供が壁を多少汚しても大人は目くじら立てないし、使い方の変化に応じ気軽に日曜大工で小改造できた。そうやって長年すみずみまで手入れしてきたので愛着もあった。
 何より三世代の家族の歴史を半世紀近く見守ってくれた家だ。家にも命がありあの世があるのなら、その使命を終えた今、極楽往生していると信じたい。そして、新しい家もこんな風に思えるようになるまで皆で大事に使い込みたい。

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